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森の駅発メルマガ No.190 2025 六月 June
June の起源は、ローマ神話の主神ジュピター ( Juppitel / ユピテル) の妻、女神ジュノー ( Juno / ユノ) です。
目 次 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲
・6月の横顔「アジサイとジューンブライド」
・山小屋通信 Part 107 「野草の楽しみ」大森 明
・ワインへの誘い 第5回「ローヌ地方」吉田 健一
・美術コラム「広重「名所江戸百景・亀戸天神境内』」戸田 吉彦
・関連情報「山の遭難」松尾 典子
6月の横顔 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲
梅雨を迎え今年もアジサイが咲く季節です。原種は日本の山野で咲いていた日本固有種ですが、
現在目にする多くはヨーロッパで園芸種に改良され、大正時代に逆輸入された品種の子孫です。
江戸時代に葛飾北斎が描いた「紫陽花と燕」は、日本で手まり咲きと呼ぶホンアジサイでした。
アジサイは黄や緑が青や紫へ変化し、土の酸性が多いと青くアルカリ性が強いと赤くなります。
昔からお寺に多いのは美しい色の変化と仏に変わる願いを掛けたのですが、花びらに見えるのは
実は萼(がく)で、芯の小さい花に変わり美しく咲き、それを装飾花と言います。原種のアジサイ
であるガクアジサイの名前の由来です。ホンアジサイは日本の山野で自然に変化した品種です。
アジサイは1789年に中国経由で渡英後、シーボルトの熱心な活動で欧米に広まった東西文化交流
の象徴です。明治以降は日本がヨーロッパを志向し戦後は米国に変わったのは周知の通りですが、
戦後始まったジューンブライド(June bride 6月の花嫁)は、欧州に昔からあった風習でした。
その歴史は古くローマ帝国時代へ遡り、軍団の遠征で領土を広げたローマが、帝国維持のため、
兵士の妻を意識した祭が起源です。彼女達は占領した敵国の娘が多かったので内通や反乱を防ぎ、
また自軍の兵を増やす出産育児の誓いをローマ神の前で立てる祭を、毎年6月1日に開きました。
主神ジュピターの妻ジュノーは結婚出産を司るので、6月の花嫁は幸せになるとした始まりです。
6月は英語でJune、フランス語でJunon、いずれも6月の女神、Juno(ジュノー)から来ています。
日本の結婚式は天気が安定する春秋に集中し梅雨時の挙式や宴会は皆無でした。そのため宴会場の
6月は閑散とします。そこでホテル・オークラの副社長が、「ジューンブライドは幸せになる」と
1967年に広告を打ったのが最初です。土用丑の日で夏場の鰻屋を救った平賀源内の現代版です。
当時はアジア初の東京オリンピック(1964)が終わり、次の大阪万国博(1970)へ向け盛り上がる
海外志向のトレンドを読んだ訳ですが、当初は反応薄く広告を繰り返し徐々に浸透したそうです。
ドレスを着た結婚式は日取りも洋式にしたいと望む花嫁を育てたのは、ホテルの地道な努力です。
さらにかつては色が変わるアジサイは心変わりに繋がり、女性に相応しくないとされましたが、
今は6月の花嫁のブーケに季節の美しい花として、積極的に評価される時代に変わっています。
ところで漢字「紫陽花」は、平安時代の歌人源順(みなもとのしたごう)が白楽天の詩「紫陽花」を、
ガクアジサイとしてからのことですが、中国にガクアジサイはなく、同じ青紫色の花が咲くものの
装飾花ではない別属の「常山紫陽花」と思われます。植物分類学が無い時代の詩人の誤解ですが、
同じユキノシタ科ゆえか今は中国のweb百科事典が、「紫陽花」の原産地を中国・日本と解説し、
何を基準にアジサイとするのか、日本固有の花木なのか、難しい時代になりました。
山小屋通信 PART107 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲
「野草の楽しみ」大森 明(森の駅発メルマガ編集・発行)

陽気がよくなるとちょくちょく野草を摘みに行く。摘んできた野草は、まず絵の題材となり、
描き終えたあとは胃袋に入る。描いて、食べて、2度楽しめるというわけだ。
この季節に採れるのは、ヨモギ、フキ、タラノメ、ミツバ、ノビルなど。
ヨモギは天ぷらがいける。香りと食感がクセになる。少し手間がかかるが、ヨモギ団子はヨモギの
色と香りが楽しめて、これもいける。
フキは茎を煮ると美味しい。ほのかな苦味と香りがお酒にもご飯にも合う。
ただし、まじめにスジをむくと疲れるので、いつも大雑把にむいて料理している。
タラノメ(野草ではなくタラノキという樹木の新芽)は開いていない新芽がお店で売られているの
を見かけるが、当方は少し開いた葉っぱの柔らかい部分を採集し、天ぷらにする。このほうが量が
多くてなんだか得した気分で、味も良い。
ミツバも香りが良く、おひたし、たまご焼き、味噌汁、薬味などいろいろ重宝する。
ノビルは生で味噌をつければ、素晴らしいお酒のお供になる(飲み過ぎ注意)。
という感じで、野草は絵の題材になった上、美味しく食べられるので、自然の恵みには感謝するし
かない。薬膳というほどではないが、野草を食べるとなんだか体調が良いように思える。
注意点は、体に良いからと言って、摘み過ぎて来年の分や他の人の採る分が無くなってしまわない
ようにすること。また、気候変動の影響なのか、近年は野草もすぐに伸びてしまって食べ頃を逃す
ことがある。これらの点は注意していきたいと思っている。
ワインへの誘い (第4回) 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲
『ローヌ地方』 吉田 健一( 元ろうきん森の学校 運営メンバー )
今回は、ローヌ地方を取り上げます。
ローヌ
ローヌ地方は南フランスのワイン産地で、北にはブルゴーニュ地方、南にはプロヴァンス地方が
あります。ローマ時代に交通の要所として栄えた都市ヴィエンヌから14世紀に法王庁が置かれて
いたアヴィニョン周辺まで、ローヌ川に沿って広がる約250キロのワイン産地です。
ローヌ川は北から南に流れているため、地図上で向かって右側が左岸、左側が右岸となります。
両岸にブドウ畑が広がり、ヴィエンヌ(Vienne)から都市ヴァランス(Valence)までを北部、
ヴァランスからアヴィニョン(Avignon)周辺までを南部とし、北部と南部で土壌や主要品種など
が大きく異なります。ローヌ地方は、原産地呼称のついたA.O.C.ワインの生産量がボルドーに
次いでフランス2位。北部ローヌ(Rhone Septentrional)も南部ローヌ(Rhone Meridional)
も赤ワインの生産が中心です。

地図 ローヌ地方の特徴 | E.GUIGAL ギガルより引用
気候の特徴としてはローヌ渓谷から地中海に吹き抜けるミストラルという強風です。
この風によって雨の後でも畑は乾燥するのでカビなどの湿気由来の病気が防げます。
この地域のワイン造りの歴史は古く、紀元前後にはローマ帝国の属領であるナルボンヌ地方の
栽培地の北限が、北部にあるコート・ロティやエルミタージュであったことが分かっています。
北ローヌ(セプタントリオナル Septentrional)地区
北ローヌではローヌ川右岸にワイン畑が広がります。
東向きの急斜面で栽培され、大陸性気候の影響とミストラルと呼ばれる強い北風を受けて、
引き締まった味わいと香り高さを兼ね備えたワインが出来ます。
主要品種はシラー。ローヌ地方の花崗岩質や片岩質と相性が良く、
筋肉質なピノ・ノワールともいうべきボディと香りが特徴です。
<コート・ロティ Côte Rôtie>
ローヌ地方最北のA.O.Cです。
コート・ロティ(=焼かれた丘)の名の通り、南向き急斜面に容赦なく日光が降り注ぎます。
良く熟れ、しっかりした香り、タンニン、酸味がバッと立ち上ってくるワイン。
シラー主体ですが、ヴィオニエを少量混醸することができます。
シラー+ヴィオニエというブレンドは相性が良く、しばしば他の国でも目にします。

2001 コート・ロティ
<コンドリュー Condrieu>
世界最高のヴィオニエを生み出すエリア。
コンドリュー内のA.O.C.シャトー・グリエは、同名のワイナリー飲みに許されたA.O.C.で、
フランスでも数少ない珍しいアペラシオンです。
ラングドックやアメリカなどで見かけるヴィオニエとは全く別物。
厚い一枚岩のようなブレのないボディやほろ苦さの上に、

2020 コンドリュー
<サン・ジョセフ Saint-Joseph>
北ローヌでは広いエリアを持つ産地。
シラーをメインに、ルーサンヌやマルサンヌのブレンドが可能です。
やや地中海性気候の影響も受け、畑のエリアや生産者によって、多少スタイルに幅があります。
北ローヌの有名&高級アペラシオンの中では、比較的お買い得が探せる産地でもあります。
<エルミタージュ Hermitage>
ローヌ地方を代表するような超有名な産地。
ここと次のA.O.C.クローズ・エルミタージュのみが北ローヌで左岸に位置します。
エルミタージュの丘によって北風が遮られ、日照豊富な南向き~西向き斜面。
<クローズ・エルミタージュ Crozes-Hermitage>
エルミタージュを取り囲むような広い産地です。
エルミタージュに比べ、味の線が細く、出来の良いものからは上品な印象を受けます。
<コルナス Cornas>
ローヌ川の右岸に戻り、急斜面でほぼ南向き。北風から守られると同時に、
地中海からの影響も混じるため、良く熟ししっかりとした骨格を持つシラーが生まれます。
南ローヌ(メリディオナル Meridional)地区
ローヌ川添いの急斜面に張り付くように伸びた北ローヌとは異なり、南ローヌはローヌ川を中心に
地中海に向けて裾広がりに三角形を描く広い栽培地帯です。ワインはブレンドが基本で、赤はグル
ナッシュやシラーにムールヴェードルがアクセントとして入ることが多いです。A.O.C.コート・
デュ・ローヌやA.O.C.コート・デュ・ローヌ・ヴィラージュの畑の多くはここ南ローヌにあります。
<コート・デュ・ローヌ Cotes du Rhone>
ローヌ地方の広域アペラシオン。エリアが広すぎるため、こういったスタイルとくくることはでき
ませんが、フルーティでしっかりした赤が中心。各ワイナリーの入門編として作られているものも
多く、まずはここを気楽に試してみるのも良いと思います。特定のコミューンでヴィラージュを
名乗ることができ、更に限られたコミューンはコミューン名を付記することができます。
<シャトー・ヌフ・デュ・パプ Chateauneuf-du-Pape>
14世紀に有名なアヴィニョン捕囚でこの地にローマ法王が移り住みました。
シャトー・ヌフ・デュ・パプ=法王の新しい城、ということで育った銘醸地がこのエリアです。
多様な土壌があり、ひとくくりに語ることのできない場所ではありますが、畑にごろごろ転がる
小石とミストラルによる乾燥した暑い気候、そして13種類のブドウの混醸許可という極めて
珍しい特徴があります。
13種類のブドウ全てを使用するかどうかは各ワイナリーの自由。ボーカステルのように
13種類すべてを用いるワイナリーもいれば、グルナッシュのみで作るところもあります。

993 シャトー・ヌフ・デュ・パプ
<タヴェル Tavel>
グルナッシュ主体の濃くしっかりとしたロゼ。ボディがあり、往々にしてほの甘く仕上げて
あるため、幅広い料理と合わせることができる便利なワインです。
<ジゴンダス Gigondas>
グルナッシュを主体とし、濃くしっかりとしたスタイルの赤が作られています。良く熟した果実
のニュアンスと、樽熟成のココアやスモークの香りがありパワフル。石灰の影響を受けて舌触りも
パリッとしています。漫画「神の雫」でサンタ・デュックのジゴンダスが取り上げられたことも
あり、比較的有名です。
ローヌ地方のワインの産地や品種の特徴 | ワインジャーナル|美味しいワインとの出会いをより引用
次回は、ロワール地方を取り上げます。
美術コラム 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲
広重『名所江戸百景・亀戸天神境内』 戸田 吉彦(森の駅推進協議会幹事)
今月の絵は広重が花の名所「亀戸天神」を描いた、名所江戸百景『亀戸天神境内』(58景)です。
広重は「名所絵の伝統とともに四季絵という、やはり大和絵の古き良きもう一つの流れに乗ろうと
した。春夏秋冬の季節に応じて移りかわる日本の自然の細やかな様相を、懐かしい詩情を込めて
重ね焼きしようとした (小林忠「浮世絵」P.127 )」と指摘があります。季節の花を求めれば必ず広重が
相応しい絵を描いており、ここでご紹介する機会が増えるのも宜なるかなと思っています。
藤の季節は春か夏か。『名所江戸百景』は『堀切の花菖蒲』(57景)の次が『亀戸天神境内』、
紫式部は「源氏物語」で「わが宿の 藤の色濃き たそかれに 尋ねやは来ぬ 春の名残を」と詠み、
清少納言も「枕草子」の「木の花は」を梅、桜、藤の順と、藤は春から夏へ変わる時の花です。
正岡子規は、「藤の花 長うして 雨降らんとす」と梅雨時の句や、病床の「瓶にさす 藤の花ぶさ
短ければ 畳の上に とどかざりけり」という和歌を残していますが、晩年に傾倒した花でした。
『亀戸天神境内』は藤房越しに太鼓橋を描いていますので、藤、太鼓橋、亀戸天神の順に解説を
致します。また「名所江戸百景」は毎回絵の構図に触れていますが、この絵も他の絵に共通する

歌川広重(1797-1868)「名所江戸百景・亀戸天神境内」 左:初摺/江戸東京博物館蔵 右:後摺/東京国立博物館蔵
左は太鼓橋の下の空色が不自然で何かの間違いと言われるが、この橋が来世と結ぶ意味では後摺より神秘性を感じる。
摺もこだわった広重ゆえ新たな表現に挑み、理解が得られず変えた可能性もありうると考える。構図解析は右図に。
手に提げし 藤(フジ)土につく うれしさよ(正岡 子規)
房状に特徴がある藤の花は、遠く万葉集の昔から和歌に登場し、家紋や着物の柄模様となり、
また日本の家名(苗字)に藤の字が多く見られるように、日本で古くから愛されてきた花です。
今回、藤の季節が気になり、手許の「俳句歳時記」(角川書店・昭和63年10月27販)を開きました。
植物辞典とは異なる説明が面白く、以下に転写します。1行目は季語、解説は 2行目以降です。
季語の藤浪は藤房が風に揺れる様、藤綱は藤の蔓で作る綱。籐籠の籐(竹冠)は別の植物です。
藤 ふじ 藤の花 藤浪 白藤 山藤 藤かづら 藤綱
山野に自生しまた観賞用として庭園、公園等に非常に多く栽培される纏繞(テンジョウ)性落葉灌木。
藤には、夏藤(土用藤)・野田藤(紫藤)・庭藤(岩藤)など種類が多く、夏藤は総状花序をなし
た白色多数の小蝶形を初夏に開き、野田藤は晩春の候に、紫色の蝶形花をたくさん総状花穂に
つけて、花穂の長さ30センチから約 1メートルにもおよぶ。これを《藤の花房 (藤房) 》という。
山藤は四月ごろ紫色の花を総状につけ、庭藤は夏に開花し、花穂の長さは15センチぐらいにすぎ
ない。普通俳句に取り上げるのは野田藤すなわち紫藤で、春の汗ばむころの気分とこの花の濃艶な
美しさが一致し、いかにも春行くといった感じが深い。庭園などのものは藤棚につくられていて、
咲き垂れた花穂は遠くからも望まれる。白藤は清楚、紫藤は濃艶、山間谿谷(ケイコク)などの山藤も
また独特の風情がある。(補記:カタカナの読み仮名は筆者追記、数字は算用数字に変更、他は原文通り。)
反橋や 池を巡りて 藤の棚(正岡 子規)
「太鼓橋」は中央が上に膨む「反橋 (ソリハシ) 」の一種で、直線状の橋は「平橋」と言います。
亀戸天神には太鼓橋が二つ、平橋が一つあります。太鼓橋の半円構造は「Arch (アーチ) 」を連想し
ますが、アーチは通常建物の開口部で、ローマ帝国水道橋のように橋脚に用いても上は平らです。
欧米でジャポニズムが流行した19世紀末、日本庭園が沢山作られ、太鼓橋は灯篭や庭石と並ぶ
人気の構成要素でした。印象派の画家モネも、アトリエ兼自宅を構えたジヴェルニーに睡蓮の池を
作り橋を架け、「日本の橋」と呼んでいました。反橋は急勾配ほど通行が難しいので実用的な橋は
勾配を緩やかにします。モネの「日本の橋」も一見平橋と見間違うほど緩やかですから、太鼓橋の
イメージとは違います。緩やかな反橋は外国の石橋にも日本の木橋にも昔から多く見られますが、
そこを渡るに困難なほど急勾配の反橋が、『亀戸天神境内』に描かれた典型的な形の太鼓橋です。
しかし現在、「亀戸天神」の太鼓橋は子供も老人も上り下りが楽な階段状に変わりました。
ではなぜ最初から階段状でないのか、江戸時代の木造技術でも可能ですから疑問が生じます。
謎を解く鍵は昔からある太鼓橋が、住吉大社、出雲大社、厳島神社など神社の境内に設置された点
にあります。太鼓橋は鳥居から本殿へ向かう途中の川や池に架けます。本殿前の川や池は、結界の
一種ですから太鼓橋には容易に渡れない、或いは渡ってはいけない意味が込められたと考えられ、
また一方参拝客を誘う効果もある宗教的装置です。「亀戸天神」の鳥居を潜ると、最初の太鼓橋
(男橋)、二つ目の平橋、本殿前の太鼓橋(女橋)が各々過去、現在、未来を表し、渡ることで
清められる意味を持たせているそうです。最近は参拝客に優しく階段状にしたのでしょう。
反橋の起源は平安時代の浄土式庭園や京都の石橋などに求められますが、反りが大きい独特の形
をした太鼓橋は、早くとも室町時代以降、全国に広まったのは江戸時代前期であろうと、研究者は
結論付けています。(参照:土木史研究 講演集 Vol.36 2016年 「太鼓橋考」土木学会正会員 松村 博)
しばらくは 花の上なる 月夜哉(松尾 芭蕉「亀戸天神 松尾芭蕉ゆかりの句碑」より)
広重が江戸時代の名所として描いた「亀戸天神」は、今も多くの参拝者が集っています。名前が
示す通り、3月にご紹介した「亀戸梅屋鋪」(水害で消失)も約300mの近くにあり、地図を開くと、
「堀切菖蒲園」から直線距離で約5~6km、道のりを考えても約1万歩の距離です。電車やバス
がない江戸時代は川舟を使えばさらに早くいずれも近い距離です。隅田川東岸の小さな庵を結んだ
芭蕉も、花の天神様と呼ばれた「亀戸天神」を訪れ、太鼓橋の上から藤棚始め季節の花を眺めては
楽しんだのでしょう。案内によれば今でも24時間開かれています。このように江戸は四季折々の
花の名所が至る所にある花の都でした。「花のお江戸」は花街があるからでも単なる賞賛でもなく
ありのままの姿です。当時の長屋に住む庶民は豊かではありませんが花と緑と堀割の水に恵まれ、
次々に咲く花に季節の移り変わりを楽しんだと広重の絵は伝えます。
画題の「亀戸天神」は通名で、現正式名称は「亀戸天神社」です。童謡「とおりゃんせ」にも、
「この子の七つのお祝いにお札を納めに参ります」と歌われた、菅原道真を祀る「天神様」です。
全国には、九州太宰府天満宮、京都北野天満宮、山口県防府天満宮等1,2000社、「亀戸天神」は
太宰府天満宮の神官で道真の末裔、菅原大鳥居信祐が作った謂れが伝わります。信祐は正保年間
(1644 - 1647年)に諸国行脚の旅に出、天神信仰を広めて江戸本所亀戸村にある天神の祠(ほこら)
に辿り着き、道真所縁の飛梅*の木に彫る天神像を納めたと伝わります。本所は、明暦の大火から
復興するため開発した隅田川の東で、現在の両国や錦糸町を中心とする墨田区・江東区にあたり、
今も町名に残ります。四代将軍家綱は「亀戸天神」を鎮守神として祀る社地を寄進し、1662年に
太宰府天満宮に倣い造営。東の宰府から「東宰府天満宮」「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」
などと呼ばれましたが、1936年(昭和11年)、正式名を現在の「亀戸天神社」に統一しました。
* 道真が京から九州太宰府へ転任すると京で愛した梅の樹が、道真を慕い太宰府天満宮に飛んで来たという伝説の梅。
最後は、浮世絵が育てた日本の木版画の魅力を世界に伝えた吉田博と川瀬巴水の亀戸天神です。
近景の藤房越しに太鼓橋を望み、橋下に藤棚を遠景とする低い視点は広重の踏襲であり、亀戸天神
太鼓橋の絵は数あれどこの構図は広重が最初です。そこに違いを出さんと工夫を凝らした二枚は、

左:吉田博「東京拾二題・亀井戸」1927(亀井戸は原文のまま) 右:川瀬巴水「亀戸の藤」1932
参考文献:小林忠『浮世絵』山川出版社 2019 松村博 「太鼓橋考」 2016 戸田吉彦「北斎のデザイン」翔泳社 2021年刊
関連情報 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲 🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲🌲
山の遭難 監修:松尾 典子(元 NHKアーカイブ プロデューサー)
大型連休中 長野県の山で遭難 合計31人 過去10年間で最多
今年の大型連休の期間中に長野県内の山で遭難した人は合わせて31人に上り、過去10年間で最も
多くなりました。特にこの時期は残雪で足を滑らせて滑落… 【NHK】 2025年5月9日ニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250509/k10014799911000.html
6月の遭難は残雪が影響。滑落や道迷いに注意
梅雨の長雨によって雪解けが急速に進む6月。しかし、残雪はまだまだ豊富で、滑落などの事故が
起きやすい時期でもある。2023年6月の事故事例… 【山と渓谷オンライン】2024年6月17日記事
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=3249
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